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オカヤマムラタのココロ

岡山村田製作所の
「ココロ」が
ここにあります。
村田製作所の創業者・村田昭が社是を制定したのは1954年のこと。以後60年以上もの間、社是を大切に守ってきました。それはここに経営の理念があるだけでなく、企業としての使命、さらに企業として存在する理由が示されているからです。今後、通信機器は一層の高機能化、多機能化が進みます。カーエレクトロニクスの分野でもさらなる電装化が見込まれ、大きく進化していくことは明白です。しかし、市場のニーズや社会環境がどのように変化しようとも、ここにある社是は変わることはありません。それは岡山村田製作所の「ココロ」そのものだからです。
メッセージ

創業者・村田昭

創業者・村田昭
独自の製品を供給して、
文化の発展に貢献する。
社是をつくった創業者・村田昭は1921年(大正10年)、京都市に生まれました。実家の「村田製陶所」は電線を絶縁固定する陶器製の器具「碍子」を製造する工場でした。太平洋戦争勃発の1941年、20歳で家業の工場を継いだ昭は、ステアタイト(滑石を主成分として焼成されたセラミックス)の開発に着手。その開発の拠点として「村田製作所」を立ち上げます。この小さな工場が後の村田製作所に発展していくのです。ステアタイトからチタンコンデンサの開発にシフトした村田製作所は、京都市工業研究所窯業部の協力を得て、他社に先駆け開発に成功します。折しも、チタンコンデンサを重要な部品とするラジオの民間放送がスタートし(1950年)、空前のラジオブームが到来。村田製作所は事業を大幅に拡大しました。その後も京都大学工学部電気教室助教授の田中哲郎氏との共同研究でチタン酸バリウムの実用化に成功。これが現在も主要な製品となっているセラミックコンデンサへとつながっていきます。
弱冠20歳で家業を継いだ村田昭は、さまざまな人たちの協力やサポートを得て、村田製作所を創業、大きく発展させていきます。そうした経験は社是にはっきりと明記されています。「会社の発展」とともに併記されている「協力者の共栄」。ともに開発や事業に携わった人たちへの感謝の気持ちが込められています。
戦中、戦後と圧倒的に物資が不足した時代に創業者・村田昭が家業を継いだことは、この社是に、つまり村田製作所の経営理念に大きく影響しています。困っている人を「独自の製品」で助けたい、そして新しく開発した製品で人々の生活を豊かにし、「文化の発展に貢献」したい。当時のそんな思いを大切にしていきたいという創業者の願いが社是に反映されているのです。
企業として利益を上げるのは当然の前提です。その先にある文化の発展こそが村田製作所が見据えるゴール、企業として存在している理由なのです。